Gil-Martinの部屋

Gil-Martinの愛する音楽、感じたことなどなど

***当ブログに掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します***
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| スポンサードリンク | - | | - | - |
我慢の限界――神を失う瞬間

恋愛の歌と宗教の歌が交差することというのはよくあることなんだと、この前の "How Deep Is Your Love?"でしみじみ思いました。キリスト教の最も大切な教義(?)は愛ですから当然のことと言えば、当然のことかもしれません。そこで宗教的なタイトルの歌を取り上げようかとも思いましたが、あまりにも抹香臭くなるのも、ってキリスト教では抹香臭くはなりませんが、宗教色が濃くなるのも避けたいと思い、解毒剤的な歌を。

この前、解散を発表して衝撃を与えたR.E.M.の名曲、"Losing My Religion"です。もう20年前の歌になってしまうのですね。月日が経つのは恐ろしい・・・。この曲は、R.E.M.が本当に("The One I Love"が最初のきっかけだったと言えますが、彼らの名声を確実なものとしたという意味で)メインストリームに躍り出たきっかけのような歌です。Rolling Stone誌の読者投票でも、R.E.M.のベスト1になっています。11月15日には、3曲の新曲が収められた回顧盤Part Lies, Part Heart, Part Truth, Part Garbage 1982-2011が発売されます。

R.E.M.が解散するというのは、その他のどんな有名なバンドの解散よりもショックが大きいニュースでした。多くの有名なバンドが軽く解散して、軽く再結成したりするのに比べて、R.E.M.は長年、ずっと活動し続けてきました。Michael Stipeの圧倒的な存在感がこのバンドの求心力ではありますが、大学時代からの友人たちと少々変化はあったにしても、ずっと一貫したギターを中心とする彼ららしいロックを作り続け、演奏し続けた彼ら、その彼らが解散してしまうというのは、一つの時代が終焉してしまうことでもあります。80年代にはアメリカのR.E.M.、イギリスのThe Smithsという二大カレッジ・ロックバンドが存在したと言えますが、The Smithsが非常に短命なバンドであったのに対し、ずっと活動し続けてくれる安心できる存在だったのです。Michael Stipeがエイズになったとか、死んだとかいう噂はあったりしましたが。二つのバンドとも内省的なボーカルとギターを中心とするサウンドという点で、80年代のロックを代表していたと思います。また、伝統的にヘテロのセクシュアリティをセールスポイントとするロックバンドにおいて、フロントマンのセクシュアリティが曖昧な(おそらくゲイであろう、いや、またはバイセクシュアルであろうなどと噂される)バンドであるということも、この二つの共通点かもしれません。

わたしがやはり彼らの解散に特別の感慨を覚えるのは、わたしにとってのアメリカを形作っていた一つの原型が彼らだったからかもしれません。彼らは、Bruce Springsteenではないし、Bob Dylanではないし、The Beach Boysではない。でもわたしの世代にとって、アメリカのロックはR.E.M.だったし、アメリカのリベラリズムや知性を感じさせるものだったのです。もちろん、彼らの音楽を聴き始めたときには、Michael Stipeのセクシュアリティなんてことは考えたこともなかったけれど、彼らの体現しているものというのはわたしのアメリカ観において根底をなすものでした。

Michael Stipeが「カミングアウト」を茶化したビデオはこちらから。このページではやたらめったら怒っている人のコメントが多いですが、セクシュアリティを公言することに大きな重きを置いている人が多いということでしょう。ということは、それほど自分のセクシュアリティをアイデンティティの根本として考えている、またはそういう考えを認める人が多いということでもあります。もちろん、それはゲイであることに対する偏見・迫害が根強いためにある立場ではあるわけですが、セクシュアリティにこだわればこだわるほど、セクシュアリティが「普通」であることに重きを置いている人たちの考え方を補強することにもなるのです。理想的には、別にどっちだって構わない、どう思われようと構わないという世界こそが、セクシュアリティに本当の自由がある世界のはずです。

Michael Stipeの皮肉は、現代社会におけるセクシュアリティの重さを茶化しているものです。彼がゲイだと公言しないこと(どちらかと言えば「クィアだ」と言っているそうです)、またセクシュアリティについて長い間明言しなかったことを卑怯だと怒る人々は、ゲイは虐げられた「人種」なのだから戦うべきだ、という考えを持つ人なのでしょう。現在、ゲイの人々に対する差別が厳然として存在することを考えると、この立場は正しくないとは言えません。しかし、そこに留まっていてはいけないのです。彼の認識はその次の段階にあるのです。

R.E.M.の代表曲の一つと言える、"Losing My Religion." タイトルからすると通常、信仰心を失った瞬間を歌った歌と思われがちです。わたしもそんな風に思っていました。保守的キリスト教の影響力の強い南部出身ではあるけれど、カレッジ・ロックの代表的な存在で、しかも枯葉剤(Agent Orange)を題材にした"Orange Crush"というシングルもある彼らは、信仰心を失った瞬間を歌う曲があっても当たり前だというイメージがありますから。しかし、これは実際の信仰心を失うことを言っているのではないそうです。"losing one's religion"というのは、南部の表現で「我慢の限界」、または「キレる」のことを言うらしいです。もう神なんか信じられなくなりそう、ということなんでしょうが、もう少し踏み込めば、キレると通常のマナーを失ってしまって、神を冒涜する言葉を発してしまうから、とも言えなくもないかもしれません。この言葉の意味を誤解している人は、アメリカ人にも多くいるみたいです。

この歌について、Michael Stipeは「強い執着心に取りつかれた恋についてのポップソングを書きたかった」と言っているようです。その例として、The Policeの"Every Breath You Take"を挙げています。"Every Breath You Take"とは簡単に言えばストーカーの歌ですから、この曲も深淵な個人の信仰心の悩みではなく、思い詰めた恋の歌ということですね。


まだ若いR.E.M.の姿が見られるビデオはこちらから

やはり南部出身で、父親が牧師であり、神に対する疑問を歌うこともあるTori Amosのカバーは、もちろん「信仰心を失うこと」を歌っていると考えるほうが妥当です。そのライブはこちらから


我慢の限界

歌詞:R.E.M.

訳詞:Gil-Martin


ああ、人生は大きい

君ひとりよりも大きい

そして君は僕じゃない

僕がどこまで頑張るか

君の眼の中に僕の努力が映っている

ああ、言い過ぎてしまった

そこまで自分を追い込んでしまった


その隅にいるのが僕だ

その隅でスポットライトを浴びているのが僕だ

今、まさに我慢の限界に達しようとしている

なんとか平静を保とうとしている

でもできるかどうかわからない

いや、言い過ぎてしまった

十分言葉では表現できていない


君が笑っているのが聞こえた気がしたんだ

君が歌っているのが聞こえた気がしたんだ

君が努力してくれるのを見た気がしたんだ


すべてのささやき

起きている間のすべてのささやき

僕は全部を打ち明けているわけではない

君を見張ろうとしているんだ

傷ついて道を見失い、目の前が真っ暗になった愚か者のように

ああ、言い過ぎてしまった

墓穴を掘ってしまった


考えてみてくれ

考えてみてくれ、今世紀最大のヒントだ

考えてみてくれ、このちょっとした失敗を

それが僕を屈服させて、失敗に追い込んだ

もしこれらのファンタジーが全部

地面に渦巻いていたとしたら

ああ、言い過ぎてしまった


君が笑っているのが聞こえた気がしたんだ

君が歌っているのが聞こえた気がしたんだ

君が努力してくれるのを見た気がしたんだ


でもそれは全部夢だった

ただの夢だったんだ


その隅にいるのが僕だ

その隅でスポットライトを浴びているのが僕だ

今、まさに我慢の限界に達しようとしている

なんとか平静を保とうとしている

でもできるかどうかわからない

いいや、言い過ぎてしまった

十分言葉にはできていない


君が笑っているのが聞こえた気がしたんだ

君が歌っているのが聞こえた気がしたんだ

君が努力してくれるのを見た気がしたんだ


でもそれは全部夢だった

努力して、泣き叫ぶ、どうして、と。努力してみて

それはただの夢だった

ただの夢


*アーティスト:R.E.M.

作品:アウト・オブ・タイム

   「ルージング・マイ・リリジョン」

| gil-martin | 音楽 | 22:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
世界の終わりにイエスさまと

今日取り上げるのは、結構人気のThe Raptureのニューアルバムです。In the Grace of Your Loveが発売されてまだ間もないところです。非常にノリノリなバンドなんですが、どうもメンバーの方々はパッとしません。なんだかオタク度の高い人々のように見えてしまうのですが、本当はどういう受け止められ方をしているのでしょうか・・・。

このThe Raptureというバンドを検索しようとすると、まず挙がってくるのがキリスト教系のウェブサイトです。それは"rapture"という言葉が「この世界の終わりにキリスト教徒たちが空中で再臨したイエスさまと会うこと」をも意味するからです。「携挙」という日本語が当てられています。この世界の終わりに、という言葉からわかるように、基本的には世界終末論主義者の人々が提唱している考えです。キリスト教終末論では、この携挙と千年王国とイエスの再臨がどんな順番で起こるかという点においてさまざまな議論があるようですが、一番、なじみのある(?)患難前携挙説/前千年王国説によると、

  1. イエスが空中に再臨する
  2. 地上のキリスト教徒たちが空中に引き上げられる(携挙)
  3. 患難時代の到来
  4. ハルマゲドン
  5. イエスが地上に再臨する
  6. 千年王国 

という順番になります。キリスト教系カルトの集団自殺騒ぎは、ほぼこの携挙や千年王国の信念が根底にあります。

もっとも最近の携挙騒ぎは、今年、2011年の5月21日。アメリカのキリスト教ラジオ局ブロードキャスター、ハロルド・キャンピングが来るぞ、来るぞとみんなを脅しました。もちろん審判の日は来なかったのですが、今現在、彼は5月のその日に霊的携挙は実際に起こったのであり、10月21日に物質的な携挙が起こると主張しているようです。・・・もう、ね、あきらめればいいのに、と、非キリスト教徒のわたしは思うのですが、世界終末論というのはカルトにおいて非常に重要な教理の一つであり、彼らは失敗したらそのたびにそれに言い訳を探し、改変し、また次の終末へと備えるように教義を変えていくわけです。むかーし、この来なかった終末という教理がどのようにカルトの結束を固めていくかということを説明してくださった宗教社会学の先生のお話を思い出します。危機というのは、グループの団結を高めてしまうものなのです。良かれ悪しかれ。しかし、キリスト教徒たちはそれほど世界が終わってほしいのか、と思ってしまうところですね。

アメリカ英語のボキャブラリに、「クールエイドを飲む(drinking the Kool-aid)」という表現があります。「彼はクールエイドを飲んじゃったのね」と言うと、彼はとんでもなく変な教義・宗教指導者を盲目的に信じていて、これはもうやられちゃったのね、と言うことです。クールエイドというのは、粉状になっていて水を加えて作る、とっても体に悪そうな子供用飲料のことです。もちろん、普通のKool-aidを飲んでも、新興宗教にいかれてしまうわけではありません。これは1978年のジム・ジョーンズに率いられた人民寺院の信者たちの集団自殺の際に、クールエイドにシアン化合物を混ぜたものが使われたことに由来します。この場合は、単純な世界終末論とはまた違い、ガイアナで集団生活をしていた人民寺院の実態にアメリカ政府が気付いたことに危機感を抱き、すでに強い強迫観念に悩まされていたジム・ジョーンズが集団自殺を指示した、というものです。まだそれほど昔の話ではないので、人民寺院を視察に来た議員一行が襲撃されたときに生き残った人、集団自殺で生き残った人たちの証言を加えた特集が、ときどきヒストリー・チャンネルなんかでやっています。また彼らが集団自殺したときの音声も残っていることもあり、アメリカの社会に強い衝撃を与えた、おそらくもっとも有名なカルト事件だと言えるでしょう。気づけば、この集団自殺の日ってわたしの誕生日でした。この年じゃないですけど。

"rapture"という言葉自身には、そういうクールエイドを飲んでしまった感がある気がします。英語の言葉自体としての"rapture"は、恍惚状態とか狂喜または歓喜という意味で、世の中が終わったりはしないわけですが。

バンドのウェブサイトはバンド名に"music"をくっつけたここです。もっと紛らわしいバンド名のInterpolは(普通に検索すると、もちろん国際刑事警察機構International Criminal Police Organizationにたどりつきます)彼らの地元であるnycをくっつけたものをウェブサイトにしています→ここ

そしてバンドとしての "rapture"はなんだか歌って踊って罰当たりな感じです。いや、薄っぺらいギターと電子オルガンやらドラムの伴奏で、イエスさまを讃える限りなく安っぽい歌を歌いながら、両手を挙げて涙を流しながら恍惚状態に陥っている、現代の福音主義系教会の人々を思い出すと、キリスト教的な意味からも隔たってはいないかもしれません。あの人たち、別に何を信じても構いませんが、もっと音楽のセンスを磨いていただきたい。ついでに言えば、Katy Perryがそんなマーケットを踏み台にしてメインストリームに出てきたと思えば、思いっきり(保守派キリスト教の教義からすれば)罰当たりなイメージを拡散して売り上げを上げているというのは、なんだかねー、と思います。

そんなふうにバンド名をキリスト教的文脈から理解すると、最初のシングルである "How Deep Is Your Love?"の歌詞も、神さまと自分の関係のお話と解釈できます。アルバムのタイトルからすると、この解釈が正しい可能性はかなり高いです。この曲でキリスト教徒の人が恍惚状態に陥ってくれるなら、それほど悪くもない、と個人的には思います。

アルバムを聴くにはこちらから

歌って踊って恍惚状態に陥るビデオはこちらから


君の愛はどのくらい深いんだい?

歌詞:The Rapture

訳詩:Gil-Martin


君が与えてくれる愛は

正しいものを見極めるのに役に立つ

僕の人生ずっと君は

君の光を見るチャンスを与えてくれている

僕が感じている愛情を

全部吐き出そう

僕が泣くと君は僕の痛みを癒してくれる

君の所へ行かせてくれ


その行き止まりの道のところで

足で感じている 君は優しいってことを

太陽がまっすぐに僕の顔に差している

ここが見つけるべき場所なんだ

暗闇では選択肢は限られている

君と僕の二人きり

生きるために必要なものを与えてくれ

君のところに行かせてくれ


君の歌を聞かせてくれ

君に与えられたこの試練では

僕はずっと歩き続けてきた

今、君は僕のすぐ隣を歩いている

山をいくつも僕たちは昇る

僕の君に対する気持ちはすべて

君の靴を履いて立っている

僕が泣くと君は痛みを癒してくれる

ここから離れるのを手伝ってくれ


君の歌を聞かせてくれ


君の愛はどのくらい深いんだい?


*アーティスト:ザ・ラプチャー

作品:イン・ザ・グレイス・オブ・ヨア・ラブ

   「ハウ・ディープ・イズ・ヨア・ラブ?」

| gil-martin | 音楽 | 18:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< October 2011 >>
+ SPONSORED LINKS
+ SELECTED ENTRIES
+ RECENT COMMENTS
+ RECENT TRACKBACK
+ CATEGORIES
+ ARCHIVES
+ BlogPet
+ amazon.co.jp
+ タグふれんず
+ MOBILE
qrcode
+ PROFILE