Gil-Martinの部屋

Gil-Martinの愛する音楽、感じたことなどなど

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父親の権力とリベラリズム
Manderlay
見てきました。ラース・フォン・トリアーのアメリカ三部作の第二作目、『マンダレイ』。前作、『ドッグヴィル』の続きではありますが、主演が二コール・キッドマンからブライス・ダラス・ハワードに変わっています。同時にギャングの親玉である父親もジェームズ・カーンからウィレム・デフォーにバトンタッチ。総括的に言うと、映画としては『ドッグヴィル』のほうがよかったと思いますが、主演はブライス・ダラス・ハワードで大正解。ブライスで『ドッグヴィル』撮ればよかったんじゃないかしら。

公式ウェブサイトはこちらから。英語/日本語

BryceDallasHowardBryce Dallas Howardというのは、M.Night Shyamalanの『ヴィレッジ』の主演で世に出てきた女優。なぜ最初っから主演かというと、才能もあるかもしれませんが、父親が子役俳優から映画監督になりあがったRon Howardだからですね。Apollo13, Ransom, A Beautiful Mind, Cinderella Manの監督として、ハリウッドでは興行成績の見込める監督という位置にありますが、やっぱり忘れてならないのはThe Andy Griffith Showです。アメリカに住んだことのある人はあの白黒(カラーもあるけど)のコメディを一度くらいは見たことがあって、あの口笛のテーマソングに聞き覚えがあるのではないでしょうか。立派な監督になった今も、『アンディ・グリフィス』に出ていたときの面影を残す、いかにも子役俳優出身風の童顔ハゲですが、娘のブライスもかなり父親に似ています。ということは、美人では決してない。

しかし、このグレースという役のナイーブさ、これは明らかにブライスのほうが合っています。このグレースだけではなく、ラース・フォン・トリアー監督の映画の女性主人公は、どうかしら、少々オツムが弱いかしら?という人々のことが多く、そうでなければ彼女たちの純粋だけれども馬鹿げた行動には素直に感動することができません。Emily Watsonが演じたBreaking the WavesのBessはまさに現実に対応する能力が欠けていたし、Bjorkが演じていたSelmaは……うーむ、無知な東欧出身移民というところでその現実対応能力の欠如を何とか説明しきっていたような気がします。


ところがニコール・キッドマンが演じた『ドッグヴィル』でのグレース、どうも説得力に欠けました。今までのようにオツムが弱くて現実対応能力が低いわけではなさそうですが、特殊な箱入り娘なので社会性が低いとはいえるかも。グレースはリベラルな理想主義者で、現実的権力主義者の父親に反発するがあまり、無謀な行動に出て自分を危険にさらす人間です。ハリウッドでの位置を獲得するために、カルト信者でゲイ疑惑が絶えないちんちくりんの俳優と結婚した彼女とはまったく正反対のイメージ。いや、そういう現実の彼女の姿とのギャップは置いておいても、年齢的に父親への反発という感じではなかったし、かつ、洗練されすぎていたという問題はあったと思います。まだちりちりの赤毛だったときのオーストラリアから来たばっかりのかわいいイモ姉ちゃんという感じだった頃だったら、似合ってたかもしれないのですが。このイモ姉ちゃん風なところ、これがブライスのグレースを演じる際の強みだと思います。

さて、こういった配役面でのプラスはありましたが、映画自体はどうだったかというと……。新鮮味に欠けるといえば、そう言えるかもしれません。この前の『ドッグヴィル』で舞台風のセットという視覚的ギミックに慣れてしまったので、何も目新しくありませんでした。でも新鮮味に欠けたのはテーマのせいでもあります。

アメリカ三部作の第二作目である今回のテーマは奴隷制でした。アメリカ嫌いで、飛行機嫌いなのでアメリカの地に一歩も足を踏み入れたことがないとして有名なフォン・トリアーにも、アメリカと言えば触れなくてはならない問題なのかもしれませんが、ちょっとアメリカの外の人が踏み込んでもいいのだろうか、という問題だったように思います。いや、また外部から言うからこそ意味があるのかも、とは思いましたが、結果としてそれほど新しい視点ではなかったこと……つまりアメリカ国内で論じられてきたことではないこと……が限界であったのではないでしょうか。

この映画で論じられたことは、アメリカ国内での保守主義、自由主義のイデオロギーの対立と重なります。この議論はもはや何も新しくないのです。そして、もう一つ言うならば、帝国主義に積極的に加担してきて、現在でも労働者として流入してきた非白人たちの扱いに苦労しているヨーロッパに足場をおくトリアー、特に諷刺漫画騒動のあったデンマーク出身の彼が、眼に見える社会的階級的人種差別を特殊なアメリカの問題として語ってもいいのだろうかという疑問があります。

この映画の一つの解釈として、イラク戦争におけるブッシュ批判だというのがあります。「正義」、「民主主義」を掲げて、心の底から望んでいるのではない人々を圧制のもとから「力」で解放しても、結局は正しいはずの新しいシステムも機能しない、システム自体が成立しないじゃないか、という批判。これもまた正しい読み方でしょう。しかし、この映画で問題となっていて、イラクの解放に当てはまらないのが、グレースを逆上させたティモシーの言葉、「あんたたち(=白人)が俺たちをつくったんだよ」という部分です。

隷属することにより社会での居場所を獲得し、存在意義を獲得するのが奴隷です。いや、ここでヘーゲルの奴隷と主人の話はしませんが、主人がいなくなったとき、奴隷はどうやって自分の居場所を探していくべきか? この映画自体は1930年代に設定されていますが、この映画のなかで議論されていることはすべて南北戦争後のアメリカで議論されたことでした。彼らには自分のことを自分で決定する能力はない(だから黒人には参政権は必要ない)、とする人々、いや、あるのだ、とする人々……しかし、教育を受けていない人が圧倒的な数を占める場合、自己決定能力というものは決定的に低くなります(映画のなかでは、奴隷たちはなぜかみな字が読め、字が書けるようでした。ここは大きな疑問)。教育を受けさせないことにより、彼らの能力を下げ、コントロールすることを容易にしてきたという事実もあるわけです。いかんせん、ここで教育は必要となります。そこで、問題は自己決定能力を持つホワイトカラーになるための教育をすべきか、それとも手っ取り早く生きていくためにブルーカラーの社会の下層のなかで生きていくための教育=職業訓練をするのか、ということになるのです。

リベラリズムでは個人の能力を最大限に信じ、誰だってチャンスを与えれば、という考え方をします。リベラリズムって、ある種の性善説ですね。ここに加わるのが、特に近年、発展してきたリベラリズムの流れの一つである、個人の尊重から派生した「自分らしさ」の主張、その人の元々持つ性質というものを主張する風潮です。だから、移民たちは自分たちのルーツを主張しがちになります。文化であるといって自分たちのやり方の正当性を主張する。それが多くの問題を起こす可能性もあることは現在のアメリカの状況を見れば、一目瞭然です。ただ、元奴隷だった黒人たちには、彼らの元々の性質、元々の文化というものが不明であり、彼ららしさを主張すること自体に混乱もあるわけで、そうなるとまたまた問題は深くなるのでした。

それに関連してまたもう一つ問題となっていたのが、グレースの"proudy nigger”ヘの性的な欲望です。彼女はティモシーがマンシ(??…これよくわかりません)というアフリカの高貴な人々であると信じ、彼への欲望を募らせていく。下等な人間ではなく、孤高の誇り高い人間なのであると。これはリベラルな人、保守派の人、実はどちらも抱きがちなファンタジーです。自分と違った他者に過度なロマンチックな幻想を覆い被せて、夢想していく。保守派の人であれば、それが単なる自分の性的なファンタジーに過ぎないことを理解して、完全に消化しきった形で楽しむ。つまり、セックスツアーに行ったりして、恋愛やら結婚という関係を持つには値しない相手と考えながらも、性的なファンタジーは楽しむ。他方、リベラルな人は、そう、どちらかというと、「社会的に低い地位にある彼と関係を持つわたしって、リベラル!」という罠に陥ったりしがちでもない。その実、相手のことを見下していて、保守派の人が堂々と口にするステレオタイプを美化しているだけだったりするわけです。ここで言えば、まさにマムがティモシーに与えた(本当は違うけれど)「誇り高き服従しない黒人」というイメージなのです。

というわけで、やはり予測どおりグレースの理想主義は失敗に終わります。そして、結局彼女は自分の理想主義が駄目になると、父親による救出を望むのです。今回はそれも成功しませんが。この後、彼女は現実的な権力主義者、父親に頼らずに、かつ理想主義を捨てずに生きることができるのでしょうか? という疑問を抱いたので、多分、三部作の三作目も見に行くことになるでしょう。


| gil-martin | 映画 | 10:00 | comments(9) | trackbacks(12) |
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こんにちは。
TBありがとうございました。
そうですか、二コールは洗練されすぎていたのですね。
私はドッグヴィルは未見なので、ブライスをグレースそのものとして見た感じです。
どう生い立ちであったのかはわからないのでパッと見た印象からすると、どうも我儘のようでそうではない、流されるタイプかなと。ナイーブさはあったのでしょう。
もうちょっと強烈なキャラクターをイメージしてしまったようです。
詳しい分析に頭が下がります。
こちらからもTBつけさせていただくようなレビューではないので恐縮ですが、いただいて帰りますね。
失礼しました。<(_ _)>
| charlotte | 2006/03/17 12:30 PM |
Tbありがとうございます。
私は全く逆の見解で観ました。
「ドッグヴィル」でのニコールは洗練されすぎていたからこそ、あの場にいて浮いている感じが良かったと思うんです。
もともとあんなところにいる人間ではないというところ含めて。
それが、今回では全く溶け込んでいるように見えましたし。。。
次回も女優が代わるようなので、どうなるのか、そこは楽しみです★
| mig | 2006/03/17 2:18 PM |
Charlotteさま
コメントありがとうございます。一作目では、ほとんどグレースのキャラクターは謎に包まれていたんですよね。でもわたしの見解は少数派かも……。でも『ドッグヴィル』も見たほうが、話は見えるかもしれません。

migさま
お越しいただきありがとうございます。imdbのレビューを見ても、わたしの意見は完全なる少数派です。行動様式やら思考形態がどうもニコールは合わないと思うんですけどね。でもあのファーつきコートは断然、ニコールのほうが似合ってます。
何だか三作目、製作が延期されているとか、二人でグレースを演じるとか、ニコールが戻ってくるとか、いろいろ言われていますけど、結局のところどうなるんでしょうね?
| Gil-Martin | 2006/03/17 10:53 PM |
昨日時間があったので『ドッグウィル』未見のまま『マンダレイ』見てきました。シャンテシネ予告編長いですね・・・30分くらい続くのかと思っちゃいました。

感想・・・この監督ほんとにアメリカ嫌いなのね、でもちょっとやりすぎじゃない?・・・だったりします。ラストのクレジットと歌のところなんですが。あれがなければもっと「組織の問題」とか一般化して考えられそうだったのになぁ。

ブライスはなかなか役に合っていたのではないでしょうか。彼女の性格(=アメリカですが)が若い頃の自分と重なってちょっと嫌な気分になりました^^;

"proudy nigger”ヘの性的な欲望の話、私はなぜこのエピソードが?と疑問だったのですが、Gil-Martinさんのエントリを読んでちょっとわかった気がします。

そうそう、3作目はケイト・ブランシェットという噂を聞きました。好きな女優さんなので期待しています。
| orangeflower | 2006/03/29 1:36 AM |
Orangeflowerさま
確かにあのエンドクレジット、しつこかった。おっしゃるようにやりすぎですよね。

ブライスVSニコール論争ですが、1作目も見た人のあいだではブライスじゃだめだめ論が優勢みたいです。2作目だけだとブライス、よかったと思うよ、ってことみたいですよ。わたしは1作目も見て、ブライスのほうがぴったりと言う意見なので、マイノリティなんですが。『ドッグヴィル』ご覧になる機会があれば、その後でまた感想お聞かせください。

3作目、ケイト・ブランシェットだったら、とっても楽しみです! わたしも彼女、大好きです。彼女の演技力なら、「本当の」グレースが表現されるかもしれません。彼女はすごくカメレオンな女優さんですよね。The Shipping News見たときは、すごーく驚きました。
| Gil-Martin | 2006/03/29 10:40 PM |
こんにちは。
私はブライス嬢のキャスティングは成功だったと思いましたー
| かえる | 2006/04/01 2:26 PM |
かえるさま
かえるさまはブライス派なのですね。仲間が増えてうれしいです。こうなったら、統計を取ってみたいですね。
| Gil-Martin | 2006/04/02 12:20 AM |
TBありがとう。
たしかにグレースは箱入り娘であるし、父親が「強力な力」
をもったギャングのボスという特殊な環境もあるんでしょうが、そこに反発している。とても純粋な理想主義者で、知的でもあると思います。一番は、グレースという設定を、多様で複雑な世界の住人ではなく、ある種の「理想主義的」二元主義の住人に設定しているところですね。グレースにブッシュの資質をみるとしたら、その部分であり、トリアー監督は、ヨーロッパVSアメリカというより、多義的な世界の重要性を訴求したいのだと思いますね。
| kimion20002000 | 2006/08/27 3:43 AM |
Kimionさま
コメントありがとうございます。確かにそういうところ符号しますね。しかし、同時にあまりに政治的主張が明確になるのは不安でもあります。映画がプロパガンダになると、どうしてもつまらなくなので。個人的には、フォン・トリアー監督にがちがちな政治性を薄めて欲しいと思っています。
| Gil-Martin | 2006/09/09 9:10 PM |









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