Gil-Martinの部屋

Gil-Martinの愛する音楽、感じたことなどなど

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想像力の海に呑み込まれる
今日はとてもお奨めの映画について書きたいと思います。この前の『ナイロビの蜂』に較べて、予備知識はまったくなしで行ったので、思いもかけない内容だったことに驚いた部分も含め、驚きと喜びと哀しみに満ちた映画でした。Terry Gilliam(テリー・ギリアム)監督のTideland (『ローズ・イン・タイドランド』)。
Tideland
このポスターを見ると、主人公の女の子がとてもかわいらしくて、ファンタジーというジャンル分けからTerry Gilliamがかわいいファンタジーを撮ったのかな、という漠然としたイメージを持っていたのですが、「グロい」という評価もされていたので、うーむ、あのかわいらしい女の子がどう「グロい」ファンタジーのなかに出てくるのか想像がつかないぞと思いながら映画館に行きました。……「グロい」ファンタジーといえば、Jean-Pierre Jeunet(ジャン-ピエール・ジュネ)という連想をしてしまいますが、彼の場合は薄暗い、灰色のイメージですよね。とはいえ、Amelie(『アメリ』)はグロさを激減させて大ヒットしましたが。

Terry Gilliamは非常に熱心な支持者のいる監督ですが、どうもわたしにはピンとくる監督ではありませんでした。だいたいMonty Pythonシリーズを見ていると疲れてしまうのです、わたし(Monty Pythonがあまり好きじゃないって、ちょっと言いづらいことの一つかも)。Monty Pythonメンバーの唯一のアメリカ人として、多くの映画を作ってきた彼ですが、彼はとっても面白いはずだけど、わたしにとっては何となく疲れる監督。わたしの認識はこれくらいなので恐らくファンの方には納得できないことを言いそう。とは言え、今回は正直、大絶賛、です。

先ほども言ったように、まったく予備知識なしで映画館に行って見はじめたのですが、冒頭、少女がAlice in Wonderland(『不思議の国のアリス』)を語り始めたことには驚かなかったものの(いかにも、ですし)、彼女が南部訛りだったのには驚愕しました。……そんなところで驚愕しても仕方ないのですが。この女の子自身が南部出身となのかとも思いましたが、カナダ出身ですね(imdbを見ると、Stargate SG-Iなんかにもゲスト出演してます。わたしにはどうしても面白さがわからない、額になんか印のある人の出てくるSF)。

彼女にはショービズ・ヒッピー崩れの両親がいます。LAでの生活は、最悪ですが笑えるシーンが満載です。そして、最初気づかなかったのが父親役がJeff Bridgesだということ。ロッカー崩れの年老いた父親を好演です。Jeff Bridges、いい役者ですね。アメリカ人のダメなオッサンをやらせたら、もうこの人に適う人はないかも。何となくBaldwin兄弟とBridges兄弟・一家のイメージが被ってしまって、Alec Baldwinと較べると印象の薄いBridges家の代表的俳優という薄ぼんやりしたイメージだったのですが。でも The Door in the Floor(『ドア・イン・ザ・フロア』)では、奥様・お嬢様キラーのオッサン役で、愛しようがないキャラクターなのですが、彼がなぜか、なぜか許せるキャラクターに演じていました。今回もそう。ダメさ加減がまったく別のベクトルなのですが、この年老いたパパも人間としては最低最悪なのに、否定しきれないキャラクターでした。

それはもちろん、愛らしいJeliza-Roseの彼への愛情所以でもあります。彼女はダメ人間の両親をせっせと世話し、孤独や哀しみに陥ることなく、自分の友達である頭だけになったバービー人形たちを道連れに、未知と不思議に満ちた世界を探検し続けます。……以前にも書いたとおり、わたしは人形が小さい頃から怖かったのですが、この映画では怖いのが当たり前のような扱いだったので、素直に受け入れられました。物語の大半が展開するのが、Jeff Bridges演じる父親Noahの母親が住んでいた、南部の草原です。崩れかけた家、草原に捨てて置かれた客車、不気味な魔女のような女性、知能に問題のある男という南部のステレオタイプ、退廃のイメージをなぞっていきます。だから、南部訛りだったのね! と一応、納得するのですが、でも考えてみれば、父親には強い訛りがないし、Jeliza-Roseが生まれ育ったのはLAのはずなのに、なぜに? ……という疑問は放っておきましょう。

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最初はJeliza-Roseの一人遊びはかわいらしく楽しく罪のないものなので、見ているほうも微笑ましく見守っていられます。とは言え、冒頭近くのシーンで彼女が父親のためにヘロインを溶かしているのを見たときには、かなりショックでしたが、そのショックを乗り越えると何があろうがある程度は笑って受け入れられました。しかし、Jeliza-Roseが天涯孤独の身になり、死んだ父親の上に丸くなって眠るのを見たりするうちに、不思議の国に住むJeliza-Roseの世界が真に危機に瀕していることに気づきます。もしかしたら、代わりの母親になってくれるのかも、と思わせた奇想天外な魔女のような女性Dellも……やはり奇想天外な人間だということがわかると、だんだん追い詰められていることがわかってきます。何よりも彼女の置かれた立場の危うさが明確になっていくのは、癲癇の治療のための手術で知能に明らかに障害を来たしたDickens(Dellの弟)と、Jeliza-Roseとの危うい友情・愛情の交換の部分です。Jeliza-Roseは無邪気に素敵なボーイフレンド、自分を愛してくれる誰かを追い求めているだけです。Dickensにも悪意はまったくなく、唯一自分を慕ってくれるかわいらしい女の子と楽しく遊びたいだけです。でも、ここに大きな落とし穴が待ち受けているのは、火を見るより明らかです。

そしてクライマックスは突然、やってきます。今まで不思議で奇妙な映像のなかに埋もれていた彼女の本当の悲劇をすべて視覚的・雰囲気的に象徴している列車事故。Jeliza-Roseはその決定的な悲劇のなかで自分を庇護してくれる人を求め、自分の空腹を満たしてくれる人を求めて彷徨います。そしてそこに一人、普通の中年女性がやっと、やっと初めて大人として、ほんの小さな子供であるJeliza-Roseを保護してあげようと手を差し伸べるのです。この場面では特に感動をそそって泣かせるキューとなるせりふも大きな出来事もないのですが、なんだかここでわたしはぼろぼろ泣いてしまいました。あんな満員の劇場でなければ、もっと大泣きしてしまいそうでした。

月並みなことは言いたくないのですが、いくら奇妙で愛すべき人に囲まれており、なおかつ彼女の想像力に助けられて、毎日の生活が不思議の国を旅するようなものであったとはいえ、実際、Jeliza-Roseの生活はあの年齢の女の子には、虐待の連続であったと言うべきです。誰も彼女を子供として慈しみ、育て、保護してはやらなかったのです。列車事故で自分も恐らく大切なものをなくした中年女性だけが、Jeliza-Roseをその年齢の女の子として、素直なごく普通の大人の視線で、初めて彼女を見たのです。ということに気づいたとき、本当につらくなってしまいました。

……という楽しい魔術的な見せかけの下に隠されたつらい思いを経験してしまう映画なのですが、もう一度見たいと思わせる映画でした。今年、そこまで思った映画はないので、今までのところわたしにとっては第一位でしょうね。少々ネタばれしてしまいましたが、まだご覧になっていない方にはぜひ見ていただきたい映画です。上映が終わっていればDVDででも。もしかしたら、わたしももう一度映画館に足を運ぶかもしれません。でも、東京では二つの劇場でしかやってないのですよね。もう少し多くの劇場で上映してくれるといいなと思います。

Jeliza-Rose最後に一つ、題名について。タイトルは原題がTidelandです。映画も原作の小説のタイトルもTidelandです。日本の映画タイトルが『ローズ・イン・タイドランド』。それほど大きな改変ではないのですが、ちょっと不満です。Jeliza-Roseというのが主人公の名前なのですから。ハイフンのついた名前だったら、最初の名前だけで呼ぶこともあるとは思いますが(ということはJeliza)、この子の場合、Jeliza-Roseと自分でも自分のことを呼び続けているし、南部訛りでaiの発音を「アー」という感じで伸ばした「ジェラー(ィ)ザ・ローズ」というのが彼女の名前だと思うのです。だから、ローズっていうと、彼女じゃないじゃん、とちょっと不満なのでした。

| gil-martin | 映画 | 01:04 | comments(2) | trackbacks(5) |
帝国主義の罪とイギリス紳士
久々の映画評です。絶対一息ついたら映画見るぞー、と思っていたのですが、さて、と思って上映中の映画を調べてみると、それほど見たいものが見つからず、やっぱりDVDかなとも思ったのですが、『ナイロビの蜂』が終わりかけというのを見つけて見に行ってきました。おまけに途中に寄ったHMVで、Morrisseyの新しいアルバム、Ringleader of the Tormentorsが1,690円というのを発見して、即購入。先日アマゾンで2,500円くらいするっ! と思って、あきらめたところなので、満足満足。やっぱり足を使わないとだめなのね。

ConstantGardenerところでこの『ナイロビの蜂』ですが、去年の夏、確かアメリカで映画のトレイラーがテレビで流れていて見たいなと思った記憶があります。The Constant Gardener。タイトルに惹かれて見たいなと思っていたのですが、公開前に帰国してしまったのだと思います。そして、しばらく前に日本で公開が始まったとき、『ナイロビの蜂』、むむ? もしかして、と思いつつ、キャストがRalph Fiennes, Rachel Weiszというのを見て、同じものであることを確信し、見にいこっと思ったまではいいのですが、日本のテレビコマーシャルで、霊能力者(?)の江原啓之とか言う人がもっともらしく宣伝しているのを見て、ちょっとためらっていました。わたし、なんかこの人が怖いのです。薄気味悪いのです、あのいかにも人のよさそうな笑顔が。霊能力者と言われる人って、人を泣かしてやろう泣かしてやろうってところにうんざりで、John Edwardを見るたび(この人→http://www.johnedward.net/)、このペテン師めがっ、と思うんだけど、江原って人はそんなことを思う前に怖くてこの人の出ているテレビが見られないのです。


といった理由で見ないかと思われた、『ナイロビの蜂』ですが、映画自体はまあまあといったところでしょうか。かなり謎解き的な要素が大です。John Le Carré原作なので当たり前といえば当たり前なのですが。しかし、なんと言ってもこの映画、Ralph Fiennes(そう、ラルフ・フィネスと書いて、レイフ・ファインズと読む、その彼)の映画ですね。このイギリス上流家庭の出身であり、エリート一族でありながら、純粋で、かつ少々内気でというこの役は、彼しかあり得ない! あの切なく哀しげな眼! そしてもちろん、Ralph Fiennes in Africaってことは、彼の出世作であるThe English Patient(『イングリッシュ・ペイシェント』)を思い出さないわけにはいかないでしょう。

ということで、考えてみたのです、Ralph Fiennesというイギリス人男性俳優のことを。実はあまり金髪碧眼男性って、わたし好みじゃありません。碧眼はどっちでもいいのですが、金髪の成人男性ってそれほど魅力的だとは思いません。小さな男の子の金髪だとかわいらしいのですが、大人の金髪ってそれほど柔らかくもないし、柔らかいと禿げてるし。そうじゃなきゃ、なんだか人工的な感じだし。……それはともかく、そんなわたしでもこのRalph Fiennesには参ります。この俳優、イギリス人紳士という(わたしの、そしておそらく多くの人の)妄想を完璧に演じてしまうのですね。

アフリカの地にあるイギリス人という場合、どうしても大英帝国の植民地にやってきている貴族、支配者としての白人という連想は逃れ得ません。幼いころに読んだイギリス小説の影響か、どうしても植民地にいる白いスーツを着ている大英帝国の貴族というイメージにそこはかとない憧れを抱いてしまうわたしなのですが、大人になると、そのイメージが憧れを抱いてはならないものであり、実は人間の欲と血がその白いスーツの下に隠されていることを知って複雑な気持ちを抱くようになりますよね。だけれども、Ralph Fiennesは帝国主義の罪を許させてしまう、または一時的に忘れさせてしまう、われらが平民の憧れのイギリス紳士を体現しているような気がします。

今回の『ナイロビの蜂』では、彼はアフリカに赴任しているイギリスの外交官。いいとこのお坊ちゃんですね。でも、gentleman’s clubではなんとなく居心地が悪そうだったり、押しの強いRachel Weiszにもはにかみながら対応したりするのです。『イングリッシュ・ペンシェント』でも当然のようにエリート一族のご子息ですが、もっともっと内気な感じでした。が、何よりもイギリス紳士でありながら、どちらの映画でも彼は西側帝国主義の罪になぜだか加担しない男として描かれているところがポイントでしょう。

『イングリッシュ・ペイシェント』では、Ralph Fiennesは第二次世界大戦に巻き込まれながらも、自分は大英帝国の利益目的の活動からは距離を保ち、実際、後には裏切りもする。ま、ハンガリー系というところで純粋なるイギリス紳士ではないものの、イギリス貴族なのに、大英帝国の欲と血の論理には少々無縁な存在として、どちらかといえばそれによって苦しめられる存在として描かれるのです。また、『ナイロビの蜂』ではケニアはもはや植民地ではありませんが、元宗主国であるイギリスの外交官たちがその特権を利用して、甘い汁を吸おうとしています。まさにネオ帝国主義。しかし、またまたRalph Fiennes演じるJustin Quayleはそんなあくどい企ては露知らず。その企てを何とかして暴露し、中止させようとする妻でさえ、彼を巻き込まないよう努力するのです。そしてもちろんその白人男性たちの悪徳を暴こうとする人々は、Rachel Weisz演じる少々無鉄砲で熱狂的リベラルな女性、アフリカ人の男性医師、インド系女性という顔ぶれ。権力を握る白人男性への対抗勢力による団結ですね。しかし、イギリス貴族のRalph Fiennesだけは、どちら側にも特に属さず、ただただ無実。

ある意味では、その「蚊帳の外状態」は間抜けとしか言いようがなく、Rachel Weisz演じるTessaがアフリカ人医師との情事をうわさされるように、彼のイギリス人紳士としての男らしさに対する疑問が呈されてもいる、とは言えます。ところが、好都合なことに二人の間のうわさは嘘であるだけでなく、Tessaが情熱をかける仕事に対して欠くことのできない協力者であるアフリカ人医師、Arnoldはゲイだと暴露されます。つまり、ここで植民地側の男性性が無力なものであり、「本物の男性ではない」という帝国主義側からの見方をある種、肯定する見方が提示され、同時にいつも蚊帳の外で頼りなかったイギリス人紳士は「無能」ではなく、まだ「男」であると肯定されているのです。

そんななかでただひたすらRalph Fiennesは切なそうに傷ついた眼で遠くを見つめるわけです。妻に裏切られていたかもしれない男、さまざまな陰謀が渦巻く中で純粋でいられる男、裏の事情をすべて知ると、自分の地位や立場はすっかり捨てて、「高貴な」行動に出る男。ほら、許せちゃうでしょ、帝国主義の利益を享受しているはずのイギリス貴族も。しかも、すべてを投げ打って愛のために死んじゃうんですよっ! 世の少女漫画ファンの、そしてイギリスアクセントにコロっと参るアメリカ人やらその他の女性の心をワシヅカミっ! ってなことで、Ralph Fiennesは永遠にわれわれの憧れのイギリス紳士であり続けるのです。あの切ない眼にやられてしまいますね。もう四十三歳になる男なのに、ということはおじさんなのに、あんな眼をされると、頭を掻き抱いて「大丈夫よ、心配しないで」と言ってあげたくなってしまう。いやー、妄想のイギリス紳士にやられてしまいました。
| gil-martin | 映画 | 10:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
大自然のなかの愛と性
Brokeback Mountain(『ブロークバック・マウンテン』)見てきました。とうとう。いつも読んでくださっている方は映画見るたび、文句ばっかり言ってるなーと思っていらっしゃると思うので、こう言うのはちょっと気がひけるのですが、この映画、正直言うと、過大評価されていると思いました。というか、最高のラブストーリーとかいう評価が間違っているのでは、と思います。ウェブサイトはこちら。日本版/英語
Brokeback Mountain
実際、アメリカではタブーの話題であるために、あれだけ評価されたという点が否めないと思います。もちろん、今までゲイの物語はあるし、それほど珍しくもなくなっているけれど、ゲイのカウボーイの話ですから。でもゲイのカウボーイが、保守的な周りの抑圧に耐えて愛を貫いた素晴らしいお話かっていうと……? ちょっと疑問。大いに疑問。

どちらかというと、現実的なお話だったと思うのです。愛を貫くために特別なことをしたわけでもなければ、戦いもせず、犠牲もそれほど払ったわけでもない。あの時代に、あの地域で、同性愛的傾向があれば、ああいう暮らしをしたんだろうということが真面目に描かれていたと思います。

わたしが好感を持ったのは、ジャックのほう。ジャックは自分のなかの衝動に正直。Gaydarビンビン。そして、いつも夢見がちで、二人で牧場やろうよ、二人だけで生きていこうよ、と言い続けています。といいながら、彼は逆玉の輿に乗り、生来の調子のよさを生かして、ちゃんとやっていっている。妻とのあいだも冷え、舅の抑圧もありますが、それなりに社会的な役割を果たすことができています。彼の最期は確かに悲惨であり、イニスのような臆病者からすれば、自分の性癖にあまりに正直で、不注意だったせいかもしれないのですが、彼のほうが自分の人生を肯定的に捉えられていたのではないでしょうか?

ジャックを演じたJake Gyllenhaal、わたしはこの映画で見直しました。いつも線の細い印象だった彼。少々オタクっぽいイメージでした。ショービズ一家出身ですが、一番よく知られていたのは、Kirsten Dunstとくっついたり離れたりで長年つきあっていた(いる?)こと。別れてたあいだにも誰かまたかなりハイプロファイルな人とデートしていたのが話題になっていたはず。ということで、本業以外の部分でより有名だった彼も、今までの繊細な現代っ子というイメージを排して、調子のいい、最後のほうではおっさんくさいカウボーイを好演してました。

問題は、イニスの方ですね。わたしがイニスが嫌いだということから考えると、Heath Ledgerはいい仕事をしたんだと思います。イニスは、ただ流されるまま。優柔不断。どうしたいのか、何を求めているのか、今ひとつわかっていない。社会的なプレッシャーだとか、内面化されたホモフォビアだとかは理解します。ところが、だからと言って、それを何とか自分のなかで処理しようという努力が足りない。まず結婚を選んだ。ところが、それが彼の求めているものであろうがなかろうが、自分が選んだものだからそれなりの努力をしてもいいはずなのに、今ひとつそういう努力もしない。悪い父親ではないけれど、良い父親でもない。

夫としては最低。Michelle Williams演じるアルマとのあいだに最初から愛がなかったとは思いません。が、ジャックに対する思いは置いておいても、彼はアルマとの生活に対してまったくヴィジョンもなく、人生を切り開いていく力もない。結局は、自分の知っている場所、仕事、生活のスタイルから脱出しようという勇気がまったくない男なのです。都会に出るのもいやで、それほどお金にならず、しかも秀でた能力を持ち合わせているとも思えないカウボーイの仕事にしがみつき、ただ現状維持ができればいいと思っている様子。そして、避妊も必要のないジャックとのセックスを思い出しているのかどうだか、甲斐性もないくせに「俺の子供を産めない奴とはしない」と言う。もう最低男です。

彼は自分のなかで消化できる以上の快楽と苦痛を知って、混乱に満ちた人生を送っているのでしょう。彼は多分、ジャックには出会わないまま、何も考えない多くを望まない女性と田舎の片隅で生きていければ、一番幸せだったのだろうと思います。彼にはそれだけの能力しかなかったのでしょう。この不器用な男の同性愛的な感情に対する戸惑いを描いていたという点では、この映画はよい映画でした。

本当に本当に最高のラブストーリーだと言うためには、やはり二人は現実を捨てて逃げていなくてはいけなかったと思います。確かに、二人が出会った1963年はまだストーンウォール前で、世の中のゲイの人々に対する理解は低いし、彼らが安全に生きていける場所も存在しなかったかもしれません。でも70年代、80年代と時代は変わり、彼らはニューヨークに、サンフランシスコに、ロスアンジェルスに逃げることができたはず。いや、オースティンに行くだけでも違ったかもしれない。ジャックの言うとおり彼の家族は彼がいなくなっても気にしないだろうし、イニスのほうはそれほど悪くない父親だけれど、娘と一緒に住むことも嫌がるような男であり、養育費だけ稼げればいいはず。ということは、どうせ肉体労働者で特殊技能でお金を稼いでいるわけではないのだから、どこへ行ってどんな仕事でもして、生きていくことができたはずです。

優柔不断のイニスは、気楽な性愛の快楽に満ちたBrokeback Mountainでのひと夏を思い出し続けるだけでしょう。最後の言葉、”Jack, I swear….” What does he swear?  いつも混乱していて、優柔不断の彼らしく、最後までジャックへの思いを言葉にはできません。"I swear I loved you"? "I swear I won't forget you" ? "I swear I won't sleep with anyone else"?

キャッチフレーズに”Love is a force of nature”とありますが、本当は彼らの愛は大自然のなかでの奔放な性だった、くらいなものなのでは?

この映画の一番大きな意義は、アメリカの理想とする男らしさへの攻撃です。アメリカらしい男のもっともたるものである、カウボーイ、その彼らが実は同性愛だなんて、という点ですね。そしてこの映画に関わった人間を見ると、非常に興味深いことが言えます。まず原作はAnnie Proulx。The Shipping Newsの原作でも有名なピューリツァー作家。女性です。そして監督は、台湾人のアン・リーですね。Jake Gillenhaalはアメリカ人だけれども、Heath Ledgerはオーストラリア人。アジア人の男性がアメリカ人に「男らしくない」と見られることが多いことを考えると、アン・リーは復讐しているんじゃないか、という気さえしてきます。Jake Gillenhaalはカウボーイを演じる俳優としては非常に不思議な選択でしたが、このアメリカ人の男らしさの理想を裏切る役を演じる勇気があるアメリカ人俳優がいなかったのかもしれません。ここまでこの映画に大騒ぎすることに、ゲイ・レズビアンの人々に対する受け入れ方が日本に較べて断然、進んでいるアメリカの根深いホモフォビアが見られる気もします。

MichelleandHeathしかし、Michelle WilliamsがHeath Ledgerの子供を妊娠したと最初に聞いたときは驚きましたが、これはこの映画を撮っているときだったんですね。Naomi Wattsとくっついたり離れたりしているHeath LedgerがなぜMichelle Williamsなんかと? と思ったのです。Katie Holmesと同じくDawson’s Creekで世に出て来たMichelle Williamsですが、ティーンエイジャーのあいだだけ綺麗に見えるブロンドという種類の女性だと思います。Dawson’s Creekの最後のほうなんか、見苦しかったですもんね。わたしが思うに、Heath Ledger、この映画を撮っているあいだに自分の男らしさに疑問を持ち始めて、手近で手を打ったんじゃないでしょうか? いや、とっても失礼なこと言ってますが。

……とは言いつつも、Village Peopleを思い出していただければわかるように、カウボーイというのはゲイの人のファンタジーの一つであって、そういう意味ではゲイの方は大いに楽しんでご覧になったかもしれないなと思います。

あ、それとエンドクレジットの最初の曲はカントリーで、立ちあがろうかなと思っているときに流れてきたRufus Wainwrightの"Maker Maker"は、じーんとしました。Rufus、カウボーイは好きかもしれないけど、彼自身はカウボーイにはなりたくないだろうなあ。
| gil-martin | 映画 | 22:18 | comments(7) | trackbacks(0) |
男を(そして人生を)見直すとき
やっぱり今さらなんですが、Butterfly Effect(『バタフライ・エフェクト』)を見ました。公開時に面白いと評判でした。けれども、見なかった理由はおそらく多くのインディ映画好きで見なかった人たちと同じだと思います。Ashton Kutcher。
バタフライ・エフェクト プレミアム・エディション
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Ashton Kutcherが日本でどのように見られているのかよくわからないのですが、アメリカでの位置づけはティーンエイジャーの女の子たち向けアイドル。今はDemi Mooreと結婚したことで有名になったけれど、その前はThat 70's Showというコメディ番組で名を知られるようになりました。ここが番組のサイト→本家/日本版(去年、Ashtonは番組を降りました)。70年代の少年少女を描くコメディで、Ashtonは顔はいいけど、相当な馬鹿というキャラクター。そして、彼はMTVのPunk'dという有名人にいたずらして喜ぶ番組のホストでもあります(Punk'dのオフィシャルサイト)。なので、彼を好きとは言いきるのは、かなり勇気がいること。いくら彼が真面目なインディ映画を撮ったらしいと聞いても、すぐさま飛びつくのは無理でした。……ところが、ところが、でしたね。やっぱりティーン向けだと言うべきかもしれません。ティーン向けスリラーという位置づけが妥当かな。しかし、意外に面白い。結構楽しい。

一つ、常々、感じている疑問は、このAshton Kutcherを日本では「アシュトン・カッチャー」と表記しているらしいこと。本当は「クッチャー」のほうがずっと近いです。あまりにもつづりと発音が違う場合とか日本人に発音不可能な音の場合、日本語表記がちょっと変なのは納得できるけれど、この場合、つづりをそのまま発音した名前なのに、なんでこんなことになってしまってるんでしょ? 誰のせい? 

Butterfly Effectのポイントは、物事の連鎖です。蝶のはばたき一つが地球の向こう側では嵐になっているかもしれない。……む? これって風が吹けば桶屋が儲かるってこと? ともかく、人生の一つの出来事を変えると、それが様々なことに影響して、その人と周りの人の人生をすっかり変えてしまうよというのがコンセプトです。でも、見ているとどうやら、世界の不幸の総量は変えられないよ、という結論なのかなという気になってきました。誰かが幸せになると他の誰かが不幸になる、誰かが犠牲を払うとその分他の人が幸福になる。なぜかわからないが父親と同じように過去に戻ってやり直しをする能力を持ったAshton Kutcher扮するエヴァン・トレボーンは、その不幸の総量を減らそうと努力するわけです。……永遠に成功しないかと思ったけれど、最後はそれなりに幸せになれるのですが(ややネタバレ)、それでも実は自分の眼に見える範囲内の不幸量を減らしただけかもしれないぞ、とわたしは思いました。

AshtonKutcherにしても、彼が変化を加える前の人生、かなり不幸です。彼自身というよりは、周りが。にも関わらず、彼はそれなりにまっすぐ育ち、州立大学の心理学専攻の学生になります。ちょっと地味目の頭脳派なEvan。あごひげの長髪。これが第一バージョンです。……このAshton、わたし、結構好みです。で、そんな自分にちょっとショックを受けてしまいました。なんか自分がdirty old manならぬ、dirty old woman(エロババア?)になってしまったような気がしたのです。が、実は彼、今28歳なんです。全然、問題ないんです。よかったー。AshtonのイメージがDemi Mooreのboy toy、ってことで、すごく若い、まるでせいぜい法定年齢ぎりぎりか、というイメージだったんですが、結構いってたのね。


ところが、彼が少々人生を修正すると、今度はEvanはfrat boyになってしまいます。Fraternityというのは日本の人にはあまりなじみのないシステムですが、大学のいわゆるグリーククラブというもので、選ばれた人だけが入れる(先輩が選抜する)クラブです。大学の構内にそれぞれクラブごとのお家があり、そこで共同生活するのです。いいところのボンボン、WASPに限られるというのがもともとの選抜規格なのですが、最近はだんだんPCになって、人種・宗教を問わない、セクシュアリティを問わない場合もあるし、黒人学生だけのfraternityもあります。……青春ドラマのDawson’s Creekでは(って見てたことを恥を忍んで告白しますが)、すでにカムアウトしたゲイのJackがfratに受け入れられて有頂天になっていたら、後でこの「おカマ!」と実は馬鹿にされていることに気づいたというエピソードがありましたね。ともかく、frat boysというのは、特権階級に属していることを鼻にかけているヤな奴、というのが普通のイメージ。下級生に拷問まがいのことをしたり、お酒飲んでばかりでパーティ三昧、勉強もしない。

……で、最初のバージョンでは、ゴスパンクのルームメイトと仲良く、ちょっとルーザーだったけど、頭脳明晰でいい奴だったEvanが、fratに入っていやーな奴に様変わり。洋服もRalph LaurenとかTommy Hilfigerとかを着てる感じ。髪も少々短め、ひげもトリムされていました。ここで、わたし、性格だけじゃなく、全然まったく少しも、Ashton Kutcherがかっこいいとは思えないことに気づきました。すごーく限定されたバージョンのAshton Kutcherが好きみたい、わたし。ここでEvanが自分の彼女のsorority house(sororityっていうのは、fraternityの女の子バージョン。みんな細身で金髪ストレート、ちょっと前はBebe、今は多分、Juicy Coutureを着てるイメージ)で、ほぼ全裸で女の子たちのからかうような視線を浴びながらバスルームに向かうところ、これはまさにいつものAshtonらしいヒトコマでした。

この二番目のシナリオにも実は大きな欠陥があり、彼はなんと刑務所に入ることになります。そこでやっぱりやり直し。その次は彼は身体障害者に。そしてその次は精神病院に。ここで、彼は自分が人生を書き換えられるというのは、嘘なんだよと言い聞かせられます。大学だって、fraternityだって、刑務所だって、全部夢。ありがちなパターンですよね。こんなこと、あんなこといろいろあったけど、実は全部、夢だった、とか精神が創り出した妄想だった、とか。ここで思い出したのは、Buffy the Vampire Slayerの後期の傑作エピソード、”Normal Again”(6−17)(こちらがBuffy)。ここでBuffyは精神病院に入っていて、自分がvampire slayerだなんていうのは、全部彼女の精神が創りあげた妄想なんだといわれるんです。ま、ありがちな設定ですが、最後が泣けるんですよねえ。ううっ。……はい、わたしBuffyとAngelのファンです。二つとも終わってしまったときには、これからどうやって生きていこうかと思ってしまいました。いつの日か、全エピソード、DVD揃えます。

というようなことがいろいろありまして、最後には無事、Evanも無事、大きな不幸のないシナリオを選ぶことができ、最後には念願の精神科医になります(そのAshtonもそれほど好みじゃなかった――結論:クリーンカットのAshtonはダメ)。彼が鍵だと思った部分以外で、今までの不幸の皺寄せはどこかに来ているんじゃないかなあとわたしは思いました。悪の根源はEric Stoltzなんですけどね。何はともあれ、自分の男の好みを考え直す機会となりました。普通の幸せを手に入れづらい、男の好みです。わかってはいたけれど。
| gil-martin | 映画 | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
二人でなら地の果てまでも
現実から全速力で逃避しようとしている今日この頃(そんな嫌なことがあったわけでもないのだけれど)、一日一本の割合で映画を見ております。今日は、Code46(『コード46』)。
CODE46 スペシャル・エディション
CODE46 スペシャル・エディション
Michael Winterbottom監督の2003年、SF作品です。ただイメージを楽しむ映画かもしれません。青っぽいアジアのハイテク近未来社会、そこから外に出るとやっぱりアジア、中近東の雑踏と砂漠。O.K., もうクリーシェですね。Blade Runnerに始まり、William Gibsonやらの考える近未来=ハイテク・アジア・雑踏・言語のミックス。

そして、設定もそれほど目新しいものはありません。この近未来では、人工授精によって生まれた人間がたくさんいるので、誰が誰と血縁であるかはわからない。そこで、当局は予め遺伝子的に25パーセント以上の一致が見られると、生殖行動をしてはいけないというルールを作っています。知らないでそういうことになった場合には、強制的に当局(?)に記憶を消去され、そしてその証拠も消去される。遺伝子レベルでの人間の管理というのもおなじみのSFテーマです。パペルとか言うものがあって、それを持っていることによって、都市への出入りを管理もされています。近未来型通行手形ですね。お話の筋としては、このパペルが不正に流通しているらしい、ということがわかり、捜査官であるティム・ロビンズ演じるところのウィリアムがシャンハイのパペル工場で働くマリア(サマンサ・モートン)のところにやってきます。Tim Robbinsは意図的にempathy virus(共感ウィルス)ってのに感染してて、これで人の考えていることを理解できるようになっているらしい。はい、これもクリーシェ。ともかく、WilliamとMariaは恋に落ちるわけですが、そう、二人はCode46を犯すことになってしまう……。

あらゆる近未来的ギミックを用いて、新しい種類の「禁じられた恋」を作り出そうとしたんだな、と感心しました。その当局の介入を振り切って、延々と続く砂漠のなかの道を二人で逃走する部分は、痛快でした。今の時代、「禁じられた恋」なんてほとんどない。禁じられれば禁じられるほど、燃え上がるもんですね、恋なんて。すべてを捨てて、あなたとの愛だけのために生きたい。ああ、誰かわたしをさらって逃げて!

ところが、それに微妙に水を差すのは、Williamが結婚してることです。最初は、ほんとに出張先での一晩の浮気って感じですから。でも何よりもWilliamを演じているのが、Tim Robbinsということに大きな問題があるのでは? わたし、一度もTim Robbinsの演技に感心したことがなくて。やたらでっかい(背、高すぎ!)冷たい眼をしたテディベアって感じがするんですよ。いつも冷たい。笑顔がほとんどない。あっても、心の底からと思えない。感情がない。ここでもそうでした。元々、官僚的な人間として描かれているのはいいとしても、Mariaに出会ってからはもっともっと本気で恋に落ちているように見えてもいいのに。駆け落ちするほど、ほんとに彼女のこと、愛しているのかなあ、という疑問がありました。Tim Robbinsはやっぱり死んだ眼をした、でっかいテディベア。

もう一つ、問題があるとしたら、二人の年齢差でしょうか? この話の設定からして、これほど年齢差がある必要はない。Williamにまだ小さな子供がいることになっていることから考えれば、本当は30そこそこくらいの俳優さんでもよかったはず。Samantha Mortonがこの当時、25歳くらいだから、ちょっとこの年齢差に疑問が。Samantha MortonはMinority Report(『マイノリティ・リポート』ですごーく不思議な雰囲気をかもし出す透視能力者として出てきたし、In America(『イン・アメリカ』)にも、そしてもうすぐ公開されるLibertine(『リバティーン』)にも出てます。決して美人じゃないけど、妙に惹きつけられる存在感ある女優さんです。

そして、もう一つ、「ああ、わたしを連れて逃げて…」とちょっと盛り上がっていたわたしを、かなーりへこませた部分がありました。それはセックスシーン。これはかなり趣味が悪かった。あまり詳しいことを言うのは避けますが、コンセプトがポルノだと思いました。ひどいです。あれに感動する人はヤバイんじゃないかな。

それはともかく、一応、現実逃避という目的は果たせました。でも、これなら、スタニスワフ・レムの死を悼んで、Solaris(『ソラリス』)を借りればよかったかも。何となく雰囲気は共通した感じでしたから、思い出したんですけど。ジョージ・クルーニーのお尻はともかく、あの映画好きなんです。


| gil-martin | 映画 | 22:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
今さらだけど『バッド・エデュケーション』
遅ればせながら、『バッド・エデュケーション』見ました。いやー、大満足です。ペドロ・アルモドバル監督、本領発揮です。ここ最近の作品を見ていて、彼の語りがますます洗練されてきたことには気づいていました。昔はわりと雑然とした語り口が彼の特徴だったように思います。しかし、『トーク・トゥー・ハー』辺りから、物語が結末に向かってきちんと流れ、大団円に向かって収束していくようになりました。この『バッド・エデュケーション』では、挿話的な部分はまったくなく、無駄なく物語が語られています。構造的には少々複雑にはなっていますが、語りはよりタイトになってます。見やすくなったのですが、これほどすっきりしてくると、彼の彼らしい魅力が失われてしまうかも、と心配でもあります。
バッド・エデュケーション
バッド・エデュケーション
今まで見なかった理由の一つは、公開されたときにはカトリック教会の神父による性的虐待で世間が大騒ぎになったことがまだ記憶に新しく、ヒステリックなカトリック教会批判が気になってしまっていたからです。もちろん、アルモドバルだから、世間一般のありがちな見方とはまったく違っているだろうことは、容易に予測ついたわけですが。

アルモドバル、何がいいって、やっぱり……愛に溢れていることでしょう。社会からの脱落者、弱者、駄目な人間、ずるい人間に対する彼の視線がすごく暖かい。『オール・アバウト・マイ・マザー』に続いて、トランスヴェスタイトというか、トランスセクシュアル(の途中?)で、なおかつヤク中の人々が主要人物として出てきますが、アルモドバルは駄目な人を切り捨てず、その人たちが周りに迷惑をかけ、害を与えていることを認めながらも、彼らだって真底から悪い人たちじゃないんだと愛を持って描きます。同情に値しない人に対する同情の念さえ、彼は観客に抱かせることができる。道徳的に許せない人のはずなのに、愛される価値がない人ではないのだ、と思わせることができるのです。

『トーク・トゥー・ハー』でベニーニョを演じていたJavier Camaraが、劇中劇のなかで、聖子ちゃんカットのトランスヴェスタイトとして出てきたのは、とてもうれしかったです。『トーク・トゥー・ハー』であのしゃべり、あの仕草でストレートだった、ってのが、ほんと不思議でしたからね。気持ち悪いんだけど、憎みきれない人です、あの人。

アルモドバルの作品に出てくる、トランスヴェスタイトの人たちって、みな同じようなしゃべり方、仕草をします。もちろん、ああいうのがステレオタイプだと思うけど。演じている俳優さんがみな本当のトランスヴェスタイトではないはずなので、アルモドバルの指導かしら、なんて思ってしまいます。

BadEducationでも、この映画、まさに、まさに萩尾望都、そして、竹宮恵子の世界ですよね! 全寮制の男子校で芽生える男の子同士の淡い恋と性。後のほうのトランスヴェスタイトとかドラッグ中毒とかのドロドロな部分はごく近年の萩尾望都ですが、学校の部分はまさに『トーマの心臓』やら『風と木の詩』を彷彿とさせます。日本の少女マンガファンの人々のために、本物本場の人が作ってくれた映画みたい。天使のような歌声を持つ、つぶらな瞳のイグナシオ。校長であるマノロ神父の欲望、イグナシオとエンリケのさわやかな恋。他の人の策略によって、引き裂かれる二人……。ああ、マンガみたい。


でも、スペインだけに生徒と神父さんでサッカーするんですね。あのとても印象的なゴールキーパーの僧衣姿の神父さんが横っ飛びする部分、あの後、真っ黒の僧衣が土ぼこりで汚れてしまうよー、と心配になりました。

それにしてもメヂカラのすごい映画でした。劇中劇のマノロ神父の欲望のこもった眼。監督のエンリケがフアン/アンヘルを見つめる、愛と哀しみのこもった眼。自分の計画を成し遂げるために必死で気に入られようとするフアン/アンヘルの眼。でも、一番は、マノロ神父の眼ですね。彼が抱いていたのがただの欲望ではなく、恋なんだ、とあの眼で表現していました。こう描写するところが、アルモドバルだと思います。権力によって、少年を思うままにした性的虐待者なのに、彼は恋するあまり弱者でもある。そして、このマノロ神父が還俗したベレングエルが、フアン/アンヘルに向ける眼も恋する弱者の眼です。

また、フアン/アンヘルに向けられるカメラ、これは本当に本当に彼を性的欲望の対象として映すカメラでした。カメラはエンリケの、ベレングエルの欲望の視線でもあったのです。この辺り、やっぱりアルモドバル。ストレートの監督には撮れないかも。

Gael Garcia Bernalの役(フアン/アンヘル)は、役者冥利につきるいい役ではないでしょうか? 人を利用し続けるずるい少年。美しく無邪気に見えるのに、彼の考えることは自分の利益だけ。アンヘル(=天使)という名前に変え、天使のような自分の美しさを使って、人々を次々に傷つけていく。かわいらしい八重歯なんか光らせながら、次々に男たちを毒牙にかけていく。エンリケはイグナシオを愛するあまりフアン/アンヘルを許せないわけですが、フアン/アンヘルに対して抗いがたい魅力を感じています。でも、それは彼の美しさや見かけの無邪気さではなく、彼の底に潜む冷たさ、薄情さ、身勝手さから来ているんじゃないかなと思うのです。実際、エンリケはフアンが嘘をついていることを知ってからのほうが、彼に強く興味を抱いているようです。

アルモドバルの映画はいつも色調が印象的です。原色系でキッチュでポップ。家のインテリアもとても素敵。スペインの家はみんなああいうインテリアなのか、と思ってしまうのですが、違うでしょうね。特にイグナシオとフアン/アンヘルのバレンシアのアパート、すごくかわいかったです。でもあんな内装の家に住んだら、疲れるかなあ……。

今回は、劇中劇のイグナシオ/アンヘルの緑のドレスとオレンジのボレロ(だったかな?)の組み合わせも素敵でした。エンリケもイグナシオの母親を訪ねていくとき、緑のスーツに、オレンジのシャツ、靴下という同じ配色でしたね。でも、これも日本人には難しい色の使い方かな? 最近、個人的には緑色が流行でもあるので(ってもう二年くらい続いてますが)、何だか素敵な緑色の洋服を買おうかなあ、とお洒落心も刺激する映画でした。……そういや、『トーク・トゥー・ハー』を見たときは、衝動的にアディダスのバッグを買ってしまったんだった。オリジナルのTrefoilマークのホールドオールが欲しくなって、わざわざebay.UKで探してしまったのです。アルモドバルって、購買意欲を刺激する監督でもあるみたいです、わたしにとっては。



| gil-martin | 映画 | 22:01 | comments(0) | trackbacks(1) |
またまたDavid Cronenberg
David Cronenberg's Spider

なんだかパッとしない週末だったので、昨日はビデオを借りてきました。どうもパッとしないときには、物語性の強い映画を見るのが一番。本当の目的は、Atom Boyさんが奨めてくれた映画(ここ)を借りることだったのですが、借りられてました……。現実逃避したい気持ち満々だったので、The Machinist以来評価がウナギノボリのChristian Baleも出ているSF、Equilibriumを狙って行ったのですが……。ちゃんとネットで、邦題は原題からまったく予測のつかない『リベリオン』だってことまで調べて行ったのに。英語カタカナのタイトルで、原題とまったく違うのって、一番想像するのが難しいよねー。しかもほぼ正反対の意味だし、この邦題と原題。

それで、なんとなくSpiderを借りてみました(サイトはこちら)。David Cronenbergの2002年の作品で、この前見たA History of Violenceのすぐ前の作品です。でも、劇場公開されたときのことをまったく覚えてないのです。なんででしょ? わたしがボーっとしてただけなんでしょうか? 
スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする
スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする
…あ、この「少年は蜘蛛にキスをする」って思わせぶりで意味がありそうな日本語副題ですが、たいして意味がありません。

見ることにした決め手は、主役のRalph Fiennes。読み方を知らなければ(イギリスの人は読めるのかな?)、決して読めない名前。「ラルフ・フィネス」じゃないの、「レイフ・ファインズ」なの。

彼は今、好きなことがやれる最高のポジションにいる感じですね。The English Patientなどで築いた名声と評価を足がかりに、J.LoとMaid in Manhattanに出たり、Harry Potterに出ているので「はははっ、結局、世の中、金だよ、金!」と思っているのかと思いきや、他方でこんな映画にも出てるんです。

そのRalph Fiennesが面目躍如、よい演技をしてました。素敵なイギリス紳士ぶりが魅力のRalph Fiennesが、労働者階級の小汚く、だらしなく、ぼそぼそしゃべる頭のおかしな人になりきってました。決め手(のひとつ)は、つんつるてんのズボンですね! やっぱりパンツ丈大事です。あのRalph Fiennesが見るからに近寄りたくない人になっているんですもの。

Sleepy HollowThe Hoursに出ていた、Miranda Richardsonも素晴らしい演技でした。簡単に説明すると、精神病の人たちの住むhalfway house(社会復帰を促す施設で、日本語では「中間施設」だそうです)らしきところに住み始めたRalph Fiennesが、East Endで過ごした少年時代を回想し、蜘蛛の糸のように絡まった過去の想い出を紡ぎ出し、そして解いていく、というお話です。

でも、この映画、DVDを手に取ったときからわかってたんですが、原作本読んだことがあるのです。あまりにも昔のことなのでほとんど覚えてないし、覚えていたのはお父さんが配管工というか水道関係の仕事をする人だってことだけ、と思っていたのですが、見ているうちに決定的な場面で一番大事なところを思い出しちゃいました(キャスティングのせいでもあったんですけど……ある意味、ネタバレ)。なので、フェアな評価はできませんが、あの本を読んだときに感じた、じめじめ、ジュクジュクした感じはよく表現されてました。
Spider (Vintage Contemporaries)
Spider (Vintage Contemporaries)
翻訳も出たみたい。
スパイダー
スパイダー
パトリック マグラア, Patrick McGrath, 富永 和子

すごくよかったのは、この映画のオープニング・クレジットです。壁やら、天井やら、コンクリートやらの染みや汚れでできた、蜘蛛の形を延々、いくつもいくつも映し続けます。内容が内容だけに、ロールシャッハってことかな? この薄気味悪さ、とても効果的でした。David FincherのSevenのオープニングに匹敵するくらい印象的です(もうちょっと地味だけど)。原作読んでなかったら、もっともっと楽しめたであろう佳作でした。Ralph Fiennesが好きな人、地味なミステリ、特にスローペースのじわじわ来る心理スリラーが好きな人にはお奨め。
| gil-martin | 映画 | 20:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
社会派じゃなかったのか……
何となく映画づいている今日この頃、一旦映画って見だすとこれもあれも見ておこうか、と思うわりに、しばらく見ないと(ってわたしの場合、半年くらい平気で見ないことがある)見なくてもいいかなあと思ってしまうのだけれど、今映画見る気が満々なので、することは一杯あるのにも関わらずA History of Violence (『ヒストリー・オブ・バイオレンス』)見てきました。
AHistoryofViolence
この映画、去年、アメリカで公開されたときから見たいなあーと思っていたのです。気になってたんですよね。暴力の問題を考える社会派の映画、だという評価のされ方をしていて、David Cronenbergでもあるし、面白いかもしれないと期待してました。そしてギザギザの傷と白濁した眼のメーキャップをした、名脇役と言えばこの人、Ed Harrisの画像を見て期待は高まり、いつ日本で公開されるのかと見るチャンスを待ってたのです。

正直言うと、期待はずれでした。ここまで期待しなければ、ま、面白いかなと思ったと思うのです。社会派かと思いきや、意外にスリラー/アクション映画だったのですよ、これが。言ってしまっていいのかどうかわからないのですが(やっぱり言わざるを得ないので言いますが)、この物語は、善良なド田舎の一市民で、ダイナー(町の食堂)を経営するTom Stall(Viggo Mortensen)と弁護士の妻(Maria Bello)、ティーンエイジャーの息子と4歳くらい(?)の娘で幸せな生活を送っているところに、トムのダイナーにやってきたならず者のごろつきを眼にもとまらぬ早業でトムが撃ち殺してしまったところから、あれよあれよと言う間にトムが実は超ワルの元マフィアだったとわかる、と言う話です。

このViggo Mortensenのアクションの鮮やかなこと。暴力を問うのであれば、リアルで醜くみじめな暴力を描写すべきだと思うのですが、あれはリアルな暴力じゃない気がしました。ああいうこと、できるの? ほんとに? 不意打ちされて不利な状況にあっても、一挙に形勢逆転して相手をバリバリ倒していっちゃいうのです。そして、おまけに両手で相手の首をゴキッとひねって殺しちゃったりするのよねえ。これはAngelの専売特許だと思ってたのですが。これがAngelですそしてサイトはこちら

Angelはスーパーパワーを持ってるからああいうことできるんだと思ってたのに、普通の人でもできるんだー、ふーん、と感心してしまいました。息を呑む鮮やかな暴力シーンでしたね。

この映画が本当に暴力を問う社会派の映画だと思えなかった理由の一つは、トム改めジョーイが超人的な技を持つ元マフィアだってことです。元マフィアって、そんなにゴロゴロ転がっているわけじゃないので、そうある話ではない。例外的でリアリティに欠ける話をしても、社会問題とはあまり思えない。それになぜジョーイがあるとき突然、思い立ってマフィアの生活から足を洗ったのかが今ひとつ見えなかった。なぜ? 疑問ついでに言えば、なぜマフィアはみなキャディラックに乗ってるの? そういうもんなの? 日本だったら、ヤクザはメルセデスベンツかBMWだと思うのですが、アメリカのマフィアは(って彼らはCusackっていう名前からするとアイリッシュマフィアだと思うけど……)国産に乗ろうという愛国心旺盛な人々なんでしょうかね?

本当に暴力を問うのであれば、父親の過度の暴力性を眼にして、まったくの意気地なし平和主義者だった息子が突然、暴力に目覚める部分にもう少し焦点を絞るべきだったのではないでしょうか? 元マフィアだったことが判明したトム/ジョーイを家族が受け入れられるかどうかは確かに大切だし、まあ、あの結末部分の余韻の残し方はいいとしましょう。だけど、その前のトム/ジョーイが過去を「清算する」部分は、どちらかというとアクション映画的流れに話が移行してしまった気がしました。

超人的な殺人マシーンのトムは、どちらかというと暴力と非暴力の使い分けについて、あっさりさっぱり自分のなかで整理がついているように思います。彼にとって暴力という問題は、(自分を脅かす過去の話を清算してしまえば)ただ単に自分が暴力を行使することが可能な人間である、ということを家族が受け入れてくれるかどうか、ということだけ。

むしろ問題となりそうなのは、暴力によってしか問題を解決できないことがあることを知ってしまった息子が、これからどうやってその事実と対処していくか、ということだと思うのです。人殺しまでしてしまったあの息子は、もはや「負けるが勝ち」で暴力的な挑発に乗らないでいた、あの態度を取り戻すことができないのではないでしょうか? ……加えて言うなら、今まで平和主義者かつ運動神経なしという設定だった息子が、ある日突然、うまく立回りができるのはおかしいのでは? 経験も運動神経もなさそうなのに、電光石火の早業で人を打ちのめしたりできないですよね? 油断していたschool bully(いじめっ子)に不意打ちの一発を与えるのは可能だと思いますが(しかも、普通、ステレオタイプだとそういういじめっ子ってフットボールのスターランニングバックで運動神経抜群という設定だと思うけど、最初の体育のときのへなちょこフライから考えると、そう運動神経はよくないのか?)、相手は数人でしたもんね。そういう血が彼の体の中に流れていると言われれば、仕方ないけど。

ともかく何だか詰めの甘さが気になる映画でした。が、スリラー/アクション映画だと言われれば、うん、そっか、それでいいよね、と思うのです。文句ばっかり言ってごめん、って感じです。結局、グラフィック・ノベル(マンガってこと)が原作ですからね。

Viggo Mortensenにかなりリアリティがあったところは評価したいです。最初は本当にド田舎のおっさんでしたもんね。ジーンズの履き方がアメリカのおっさんですもの。ちょっと、というかかなり手を入れれば、かっこよくなるんだろうけど、どうしようもなくダサい田舎のおっさんって時々いますから。その一方、妻、イーディ役のMaria Belloが中途半端だった気がします。ド田舎ながら、弁護士なので少々普通の人より洗練されている、というのはまあ、納得しましょう。でも年齢を考えると、スタイルがよすぎます。着る洋服も、カジュアルなのに自然にセンスが若かったのです。ああいう人はアメリカの田舎にはいません。改造済みっぽい感じがするスタイルのよさで、無理無理な若作りとかどぎつい服を着ているのなら、ありえるとは思いますが。

MariaBelloでも何だか見たことあるよなあ、この人、と思って、家に帰ってimdb.comで確認すると、Maria BelloというのはThe Secret Windowに出ていたあの人ですね。そうだと思ったんだ。あっちでもちょっと中途半端だったかも。あちらでは、Johnny Deppの相手役を張るだけにもっとゴージャスで美しくあって欲しかった。


そしてJohnny Deppと言えば、映画の前にLibertineの予告編流れてましたが、お願い、誰か本当にお願い、彼にこれ以上イギリス人役をやらせないで! スコットランド人もイングランド人もアイルランド人もウェールズ人も、お願いだからやめてー。彼があのへたくそなフェイクアクセントを使うたびに気になって映画に集中できないのです。好きな俳優なのに、ああ、このフェイクアクセントのせいで嫌になりそう。彼にはイギリス人はできないんだから、もうあっさり諦めて欲しいです。

もう話がずれまくっているので、ずれているままで言いますが、あの東劇の入り口前にあったクレーン・マシーンの『子ぎつねヘレン』のぬいぐるみ、かわいかったです。欲しかったなあ。一人だったので恥ずかしくて(それに絶対失敗するから)挑戦しませんでしたが、相方がいれば必ずやってもらったのに(取れるまで!)。映画は見に行くつもりはさらさらありませんが、あれ、欲しいです。
| gil-martin | 映画 | 23:53 | comments(5) | trackbacks(9) |
父親の権力とリベラリズム
Manderlay
見てきました。ラース・フォン・トリアーのアメリカ三部作の第二作目、『マンダレイ』。前作、『ドッグヴィル』の続きではありますが、主演が二コール・キッドマンからブライス・ダラス・ハワードに変わっています。同時にギャングの親玉である父親もジェームズ・カーンからウィレム・デフォーにバトンタッチ。総括的に言うと、映画としては『ドッグヴィル』のほうがよかったと思いますが、主演はブライス・ダラス・ハワードで大正解。ブライスで『ドッグヴィル』撮ればよかったんじゃないかしら。

公式ウェブサイトはこちらから。英語/日本語

BryceDallasHowardBryce Dallas Howardというのは、M.Night Shyamalanの『ヴィレッジ』の主演で世に出てきた女優。なぜ最初っから主演かというと、才能もあるかもしれませんが、父親が子役俳優から映画監督になりあがったRon Howardだからですね。Apollo13, Ransom, A Beautiful Mind, Cinderella Manの監督として、ハリウッドでは興行成績の見込める監督という位置にありますが、やっぱり忘れてならないのはThe Andy Griffith Showです。アメリカに住んだことのある人はあの白黒(カラーもあるけど)のコメディを一度くらいは見たことがあって、あの口笛のテーマソングに聞き覚えがあるのではないでしょうか。立派な監督になった今も、『アンディ・グリフィス』に出ていたときの面影を残す、いかにも子役俳優出身風の童顔ハゲですが、娘のブライスもかなり父親に似ています。ということは、美人では決してない。

しかし、このグレースという役のナイーブさ、これは明らかにブライスのほうが合っています。このグレースだけではなく、ラース・フォン・トリアー監督の映画の女性主人公は、どうかしら、少々オツムが弱いかしら?という人々のことが多く、そうでなければ彼女たちの純粋だけれども馬鹿げた行動には素直に感動することができません。Emily Watsonが演じたBreaking the WavesのBessはまさに現実に対応する能力が欠けていたし、Bjorkが演じていたSelmaは……うーむ、無知な東欧出身移民というところでその現実対応能力の欠如を何とか説明しきっていたような気がします。


ところがニコール・キッドマンが演じた『ドッグヴィル』でのグレース、どうも説得力に欠けました。今までのようにオツムが弱くて現実対応能力が低いわけではなさそうですが、特殊な箱入り娘なので社会性が低いとはいえるかも。グレースはリベラルな理想主義者で、現実的権力主義者の父親に反発するがあまり、無謀な行動に出て自分を危険にさらす人間です。ハリウッドでの位置を獲得するために、カルト信者でゲイ疑惑が絶えないちんちくりんの俳優と結婚した彼女とはまったく正反対のイメージ。いや、そういう現実の彼女の姿とのギャップは置いておいても、年齢的に父親への反発という感じではなかったし、かつ、洗練されすぎていたという問題はあったと思います。まだちりちりの赤毛だったときのオーストラリアから来たばっかりのかわいいイモ姉ちゃんという感じだった頃だったら、似合ってたかもしれないのですが。このイモ姉ちゃん風なところ、これがブライスのグレースを演じる際の強みだと思います。

さて、こういった配役面でのプラスはありましたが、映画自体はどうだったかというと……。新鮮味に欠けるといえば、そう言えるかもしれません。この前の『ドッグヴィル』で舞台風のセットという視覚的ギミックに慣れてしまったので、何も目新しくありませんでした。でも新鮮味に欠けたのはテーマのせいでもあります。

アメリカ三部作の第二作目である今回のテーマは奴隷制でした。アメリカ嫌いで、飛行機嫌いなのでアメリカの地に一歩も足を踏み入れたことがないとして有名なフォン・トリアーにも、アメリカと言えば触れなくてはならない問題なのかもしれませんが、ちょっとアメリカの外の人が踏み込んでもいいのだろうか、という問題だったように思います。いや、また外部から言うからこそ意味があるのかも、とは思いましたが、結果としてそれほど新しい視点ではなかったこと……つまりアメリカ国内で論じられてきたことではないこと……が限界であったのではないでしょうか。

この映画で論じられたことは、アメリカ国内での保守主義、自由主義のイデオロギーの対立と重なります。この議論はもはや何も新しくないのです。そして、もう一つ言うならば、帝国主義に積極的に加担してきて、現在でも労働者として流入してきた非白人たちの扱いに苦労しているヨーロッパに足場をおくトリアー、特に諷刺漫画騒動のあったデンマーク出身の彼が、眼に見える社会的階級的人種差別を特殊なアメリカの問題として語ってもいいのだろうかという疑問があります。

この映画の一つの解釈として、イラク戦争におけるブッシュ批判だというのがあります。「正義」、「民主主義」を掲げて、心の底から望んでいるのではない人々を圧制のもとから「力」で解放しても、結局は正しいはずの新しいシステムも機能しない、システム自体が成立しないじゃないか、という批判。これもまた正しい読み方でしょう。しかし、この映画で問題となっていて、イラクの解放に当てはまらないのが、グレースを逆上させたティモシーの言葉、「あんたたち(=白人)が俺たちをつくったんだよ」という部分です。

隷属することにより社会での居場所を獲得し、存在意義を獲得するのが奴隷です。いや、ここでヘーゲルの奴隷と主人の話はしませんが、主人がいなくなったとき、奴隷はどうやって自分の居場所を探していくべきか? この映画自体は1930年代に設定されていますが、この映画のなかで議論されていることはすべて南北戦争後のアメリカで議論されたことでした。彼らには自分のことを自分で決定する能力はない(だから黒人には参政権は必要ない)、とする人々、いや、あるのだ、とする人々……しかし、教育を受けていない人が圧倒的な数を占める場合、自己決定能力というものは決定的に低くなります(映画のなかでは、奴隷たちはなぜかみな字が読め、字が書けるようでした。ここは大きな疑問)。教育を受けさせないことにより、彼らの能力を下げ、コントロールすることを容易にしてきたという事実もあるわけです。いかんせん、ここで教育は必要となります。そこで、問題は自己決定能力を持つホワイトカラーになるための教育をすべきか、それとも手っ取り早く生きていくためにブルーカラーの社会の下層のなかで生きていくための教育=職業訓練をするのか、ということになるのです。

リベラリズムでは個人の能力を最大限に信じ、誰だってチャンスを与えれば、という考え方をします。リベラリズムって、ある種の性善説ですね。ここに加わるのが、特に近年、発展してきたリベラリズムの流れの一つである、個人の尊重から派生した「自分らしさ」の主張、その人の元々持つ性質というものを主張する風潮です。だから、移民たちは自分たちのルーツを主張しがちになります。文化であるといって自分たちのやり方の正当性を主張する。それが多くの問題を起こす可能性もあることは現在のアメリカの状況を見れば、一目瞭然です。ただ、元奴隷だった黒人たちには、彼らの元々の性質、元々の文化というものが不明であり、彼ららしさを主張すること自体に混乱もあるわけで、そうなるとまたまた問題は深くなるのでした。

それに関連してまたもう一つ問題となっていたのが、グレースの"proudy nigger”ヘの性的な欲望です。彼女はティモシーがマンシ(??…これよくわかりません)というアフリカの高貴な人々であると信じ、彼への欲望を募らせていく。下等な人間ではなく、孤高の誇り高い人間なのであると。これはリベラルな人、保守派の人、実はどちらも抱きがちなファンタジーです。自分と違った他者に過度なロマンチックな幻想を覆い被せて、夢想していく。保守派の人であれば、それが単なる自分の性的なファンタジーに過ぎないことを理解して、完全に消化しきった形で楽しむ。つまり、セックスツアーに行ったりして、恋愛やら結婚という関係を持つには値しない相手と考えながらも、性的なファンタジーは楽しむ。他方、リベラルな人は、そう、どちらかというと、「社会的に低い地位にある彼と関係を持つわたしって、リベラル!」という罠に陥ったりしがちでもない。その実、相手のことを見下していて、保守派の人が堂々と口にするステレオタイプを美化しているだけだったりするわけです。ここで言えば、まさにマムがティモシーに与えた(本当は違うけれど)「誇り高き服従しない黒人」というイメージなのです。

というわけで、やはり予測どおりグレースの理想主義は失敗に終わります。そして、結局彼女は自分の理想主義が駄目になると、父親による救出を望むのです。今回はそれも成功しませんが。この後、彼女は現実的な権力主義者、父親に頼らずに、かつ理想主義を捨てずに生きることができるのでしょうか? という疑問を抱いたので、多分、三部作の三作目も見に行くことになるでしょう。


| gil-martin | 映画 | 10:00 | comments(9) | trackbacks(12) |
6 Degrees of Kevin Bacon
忙しかったのと、どうもこれについて書きたいという曲が思いつかず、少々さぼりがちになってしまいました。それで少々以前に見た映画について書こうかなあ、と。Where the Truth Lies (『秘密のかけら』)です。あんまり評判にもならなかったし、素晴らしい映画というわけでもなかったけど、なんとなくわたし的にはツボだったので。主演は、ケヴィン・ベーコン、コリン・ファース、アリソン・ローマンです。どうしても映画が見たくなって行き当たりばったりで見た映画なのですが、わたしが見たときにはすでに劇場公開の終わりかけだったので、今はもうどこでもやってないんじゃないでしょうか。なので、ややネタバレで行きます。
Where the Truth Lies
これを見て最初に思ったのは、6 Degrees of Kevin Baconにまたバリエーションが増えるぞ、ということでした。6 Degrees of Kevin Baconってご存知でしょうか? お馬鹿なゲームで、共演者たちを結んでいって、ある俳優からケヴィン・ベーコンに辿り着くまでに何人かかるか、ということを競うものです。ケヴィン・ベーコンはエンターテイメント界(映画界)の中心であり、誰も彼もが六段階まででケヴィン・ベーコンとつなげることができるという仮説に基づいたゲームです。

例えば、ミシェル・ファイファーはジャック・ニコルソンと『イーストウィックの魔女たち』で共演しました。そしてジャック・ニコルソンは『ア・フュー・グッドメン』でケヴィン・ベーコンと共演しています。ということは、ミシェル・ファイファーのベーコン数は2、ジャック・ニコルソンは1となります。

今回、ケヴィン・ベーコンはコリン・ファースと共演し、コリン・ファースのベーコン数は1となり、コリン・ファースと共演した多くのイギリスの俳優もベーコン数がぐっと小さくなったはずです。このゲームのそこはかとないおかしさは、このエンターテイメント界の中心とされているのがケヴィン・ベーコンだということでしょう。彼は確かにキャリアも長いし、かなりいい映画にも出ているけど、オスカーも取ってないし、完全な脇役俳優というほどマニアックな位置にあるわけでもない。つまり、ジャック・ニコルソンでもなければ、ジョン・マルコビッチでもない、その中途半端さがなんだかいい感じなのです。

ゲームだけでなく、この『秘密のかけら』は微妙な映画でした。性描写が多くてB級映画の領域に入りそうなんだけど、ケヴィン・ベーコンとコリン・ファースだし、二人がなかなかの演技を見せ、なおかつかなりのリスクを犯して演技してます。かといって、社会問題を訴えかけることもなければ、感動も呼ばない。ミステリーなんだけど、謎解きがそれほど重要な感じでもなく、ドキドキもしない。まあ、その中途半端さがいいといえばよかったのですが。(映画の公式サイトはこちら。)

この映画の最大の魅力でありながら、おそらくアメリカ以外の観客にいまひとつアピールし切れなかった部分は、ケヴィン・ベーコンとコリン・ファースの役が50年代に一世を風靡するボードヴィル・コメディアン(二人組みのコメディアン)であるということで、明らかにある実在の人々を思い起こさせることでしょう。

アメリカ人は(ある程度の年齢の、かな?)主人公二人を見て、Dean Martin(ディーン・マーティン)とJerry Lewis(ジェリー・ルイス)を思い浮かべます。彼らも1956年にコンビを解消しました。もちろん、全裸女性殺人事件という話はありませんでしたが。このように違うところがあるので、完全に彼らのパロディというわけではありません。映画のなかでは二人がポリオのチャリティのテレソンのホストをすることが一つのポイントとなりますが、実際にはコンビ解消後にJerry Lewis一人が筋ジストロフィー患者のためのテレソンのホストを務めています。しかし、見ている人は間違いなく二人をこの伝説のボードヴィル・コメディアンたちに重ね合わせたに違いありません。ショービジネスには当たり前、特にコメディアンには多いのですが、ケヴィン・ベーコンが演じた役ラニー・モリスもユダヤ系でJerry Lewisはユダヤ系です。コリン・ファースが演じた役ヴィンス・コリンズはそのままイギリス人で、Dean Martinはイタリア系なので少々の違いはありますが、見ている人はLewis & Martinのコンビ解消の裏にこんな話があったかどうだかという気持ちで見たはずだと思います。

この映画では、二人が絶頂を極めており、同時にコンビを解消しようとしている50年代と、過去の人となっている70年代の二つの時代を中心に物語が展開していきます。70年代になって少々落ちぶれたもののやっぱり大物の二人に、伝記を書こうとする若手ジャーナリスト、アリソン・ローマン演じるカレン・オコナーが近づきます。彼女が注目しているのは、彼らのコンビ解消の理由となったらしい、全裸女性死体事件。二人が24時間のテレソンを終えたあと、ホテルの部屋に全裸の女性の死体が発見されたのでした。カレンはヴィンス・コリンズの聞き取り伝記の契約を結び、また同時にラニーが自分自身で出版しようとしている伝記を読むことによって、10数年前の事件の真相を探ろうとするのです。

AlisonLohmanわたしは実はこのアリソン・ローマンが好きなのです。童顔なので実際の年齢より若い役をすることが多いのですが、かなりの演技派です。今回の映画では、やたらセクシーな役でもあったので、この童顔が祟ってちょっとヤバイなあと思った人も多いかもしれません。ともかく特別美人ではなく、まあかわいい、という感じの顔なのですが、何だか印象に残る顔です。Big Fishで幻想的な憧れの少女として出てきたので顔を知っている人も多いかと思います。わたしが彼女を最初に見たのは、Pasadenaというテレビシリーズで、残念なことに5、6回くらいしか放送されなかったと思います。それ以来、彼女には注目しています。曲者役が多いので、将来大物になるかも!


ともかく、いろいろあって、またまたぐちゃぐちゃする映画で、みんなくんずほぐれつの大騒ぎです。一言で言ってしまうとこの映画のポイント(見所も謎解きも)は、"swinging both ways"なのでした。わはは。

という片付け方をすると、ショービズの世界、そしてその周りのジャーナリズムもドラッグとセックスだよ、と単なるセンセーショナリズムだけのストーリーということになってしまいます。それはそうなのです。けれど、それに微妙な陰影を加え得たのは、やはり俳優たちの演技力のおかげでしょう。最初は今ひとつ愛せないボードヴィル・コメディアンの二人、ラニーとヴィンスが、クライマックスまでにはやっぱり完全に肯定できなくても、その魅力がわかるようになってくるのです。

ラニーはなんだかいつもハイパーで嫌味な「スター」です。でもなぜかセクシーな魅力もある。そこは何だか理解したいようでしたくない、とわたしは映画を見ているあいだ揺れ動きました。ケヴィン・ベーコン自体、決していい男じゃないし、すごく微妙なんですもの。でもそこにアリソン・ローマン演じるカレンが、10数年前に実はポリオが治ったばかりの少女としてその2人が解散する前のテレソンに登場したことがあり、彼が事件のことで頭が一杯のままで涙を流して言った"you’re a very special girl"という言葉を力にして生きてきた、ということがわかると、彼女の眼を通して彼を見ることができ、彼が英雄視される理由も理解できるようになります。そして、非常に複雑なヴィンスへのラニーの愛情が最後にわかることによって、彼はそれほど薄っぺらで嫌な奴じゃないことがわかり、見ている方としてはますます複雑な気持ちになるのでした。

コリン・ファース演じるヴィンスは最初から最後まで、わかりづらい人間です。イギリス訛りが与える印象とたがわず(アメリカ人にとっては、ですが)ヴィンスは紳士的で優しい人間のように見えます。しかし、最初の部分のフラッシュバックで語られる50年代のコメディクラブでのエピソードで、ラニーと較べるとまともな人間、という評価は覆されます。ラニーが乱暴に扱った客が彼をユダヤ人め、とののしり、会場が険悪な雰囲気になったあと、ヴィンスは謝らせてくれと言葉巧みにその客を舞台裏に誘いこみます。しかし、彼は突然人が変わったようにその客を殴りつけるのです。そこで彼もそれほどまともではなく、やっぱりドラッグに明け暮れるクレイジーなショービズの人間だということがわかるのです。70年代のヴィンスも少々陰鬱で哀しげながら、抑制が効き、いい人間のようなのですが、やがてはカレンをはめるのです。ここがまさにポイント。ヴィンスはドラッグで酩酊していた状態で、決定的となるああいう行動に出たわけですが、カレンもドラッグの影響で夢うつつの状態だとあっさりそういうことになる。これでヴィンスは彼女をコントロールする材料を手に入れただけではなく、自分自身をなぐさめることができるのです。

この映画、もう少し性描写を控えめにしておいたら結構いい映画だといわれたかもしれないなと思います。それともコリン・ファースとケヴィン・ベーコンよりもっと無名な俳優だったらよかったのかも。といいながら、その二人だからという魅力もたくさんあったのですが。でも、50年代、70年代のレトロな感じの衣裳はかなり楽しかったです。結局、ちゃんとお話を説明せずに書いてしまったので、見なかった人はさっぱりでしょうね。もうちょっとちゃんと書いてもいいのかなあ。ということでレヴューも中途半端になってしまいました。
| gil-martin | 映画 | 22:45 | comments(1) | trackbacks(0) |
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